【書評】「暇と退屈の倫理学」を読んだら、どデカいイナヅマが落ちてきた

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ゴロウ
どうも!暇さえあれば本を読んでるゴロウです

先日、とある知人の紹介で知った「暇と退屈の倫理学」という本。

2022年東大・京大で一番読まれた本とのこと。

読んでみたら、まぁ大きなイナヅマが落ちてきました。個人的にはここ5年ぐらいで一番良かった。

特に、自分の中で悶々としていた、「時間とお金のバランスや、思考と感情のバランス、仕事と趣味のバランス、自分の長所と短所など」

今まで抱えていた色んなハテナに納得感の連続でした。

 

今回の記事では、この本をきっかけに自分が気づいたこと、感じたことを中心にお伝えしていきます。

なので、本の内容が気になる方は、本や要約を読んでみてください。

要約だけでも一読することをオススメします。

 

 

要約はこの方が図解もあり分かりやすかったです。

【要約】『暇と退屈の倫理学』と『自分探しと楽しさについて』

 

「暇と退屈」って似てるけど、違う

まず、今回の本題に入る前に、「暇と退屈」という似たようで違う言葉の意味について。

この本では、

暇=単純に何もする必要がない時間。客観的条件。
退屈=感情や気分。主観的状態。

と定義してます。

 

例えば、病院で待っている時間に特にすることもない手持ち無沙汰な時間が「暇」。
今雨も降って外に出られないし、面白いテレビもやってないなーという気持ちを「退屈」。

 

つまりは暇は余白時間で、退屈はいわゆるつまんないなと感じる感情ってことですね。

 

人は退屈する生き物だと知れて、なんだか安心した

ここ数年、退屈だと感じることが年々増えている感じがして、そこをどうにかしたかった。

だから、退屈は良くない!退屈は敵だ!と言わんばかりに、没頭できる状態を追い求めていた気がします。

なので人は退屈する生き物だと知った時に、それなら「しゃーないやん!気抜いていこう。」とちょっと思えました。

ちなみに動物は退屈しないそうです。

 

難しい言葉で言うと、「環世界」という言葉が関係するんですが。

簡単に言うと、人は想像力があるので、色んな世界を簡単に行き来できちゃうがために退屈さを感じてしまう。

動物は、食べて生きることに一生懸命だから、目の前のことに没頭でき、退屈しないそうです。

 

いつからか、「没頭する人生」を追いかけていた自分にとって、「退屈する」自分を否定していました。

やっぱ限りある命、燃焼していきたいじゃないですか!そうなると「没頭」したくなっちゃうんですよね。

でも、人間は没頭し続けられない。没頭できない自分は生物的にしょうがないだと思えたのが大きな収穫でした。

 

 

2.「好きなことを仕事にする」の罠

今世の中ではYouTuberなどを筆頭に、「好きなことを仕事にする」や「やりたいことを仕事にする」が一つの大きなテーマとなっています。

僕も好きではない営業の仕事が嫌で、もっと自分の好きなことを仕事にしたいと思い、ずっと「大好きでずっと続けられる仕事」や「使命感のある仕事」を追い求めてきました。

このブログでも、SNSでも、トークライブなどでもこのテーマをずっと扱ってきました。

でも今は、求める度合いが完全に0になったわけではないのですが、結構なくなりました。

というのも、「使命感のある仕事をしたい気持ち」の根底には、自分の中で「個性の消費をしている」ことに気づいたからです。

 

個性の消費。脱却するにはどうしたら?

いきなり難しい言葉なんですが、「個性の消費」。

この本では、

消費・・・観念や意味の消費、限界がない
浪費・・・必要以上の物を受け取る、限界がある
と定義してます。

消費は、ハムスターのように、誰かが用意した枠(ここでいう観念や意味)を追い続けてしまうことを言います。

今回の個性の消費で言うと、自分は自分の個性を大事にしているつもりだったけど、結局は誰かが作った個性という作り上げられたイメージ、観念を追い求めつづけてたってことです。

個性の消費に関しては昔にさかのぼるんですが、、例えば、モテたいと思った20代。

僕はファッションに情熱をかけてました。バイト代や給料の大半はファッションに消えたと思います。

その根底には、「個性的な自分でありたい」という追い求めるものがありました。

ファッションとは、流行を意味するわけで、誰かが作った流行です。

雑誌を見て研究して完全な個性を出していっても、所詮誰かが作った流行にのっかった自分。

そこに自分が求める個性はあるのか?と何年か経ってから気付きました。

 

ちなみに、「プラダを着た悪魔」を見て、より一層そんな自分に気付きました。

 

 

この個性は、気づけば仕事にもつながっていました。

旅ブログをするにしても、トークライブをするにしても、コーチングの仕事やセミナーをするのも、全て、「使命感を感じる仕事」を手に入れたいという自分。

そして、根底には「個性的な自分でありたい」という思いがありました。

その仕事が手に入れば自分の個性が完全体になるとでも言わんばかりに、資格や講座などにも何百万円と使ってきました。

でも、極端な話、どれだけ使命感のある仕事を探し求めても「僕の中での個性」は完全にはならないと思いました。

結局、個性的かどうかは周りが決めることであって、「あるがまんま」でもすでに個性はそれなりにありますからね。

 

多分ですが、「使命感のある仕事」を逆算的に作っていくより、「今ある仕事」や「降ってくる仕事」に使命感を持てる自分になる。という方が自分に向いている。

そんな風に今は思ってます。

 

とは言っても、まだ個性を求めてる自分はいて。。。笑

今は仕事よりライフスタイルで自分の個性を追求したいと思っています。

だから、もっと自分の内側から湧き起こる「個性」に近しい「心の声」のようなものを大事にしたい。

このブログの当初は、その「個性」に近しい「心の声」が多かった気がします。

これをたくさん出していくことが、「個性の消費」から脱却できると思ってます。

 

自分の好奇心に振り回されないコツがわかったこと

もう一つ、自分の好奇心に振り回されないコツがわかりました。

結構、好奇心が強い性格でして、一つのことを続けられない。そんなよくないこともあれば、新しい領域に、「えいや!」と決断して新しい境地を開くこともできる。

この「好奇心」が諸刃のつるぎで、コントロールが難しい。

例えば、何か大きな新しい領域に決断をして突き進んだあとには、どっかで疲弊する自分がいる。お金や時間をめっちゃ使いますしね。

もう一つ、今あること日常を大切にする。これってめっちゃ大事なことで忘れたくないことだけど、こればっかり続くのはなんかつまんない。好奇心がメキメキって出てくるから。

こんな感じに、常に好奇心が暴れている感じです。

 

でも、「好奇心」が生み出す「大きな決断と疲弊」「幸福を感じることと退屈」が分かったことで、とっても楽になりました。

 

本の中でも紹介されていたように、人類は狩猟移動生活から、定住生活に移るにあたって、退屈が生まれた。

なんだか、これにもすごくしっくりきていて、移動と日常を大事にすることで、好奇心がうまく回っていきそうです。

 

 

さいごに

色々と書いてきましたが、理想の形はシンプルで、

「暇を退屈せず、楽しく過ごす」ということ。

新しい他の環世界にトリコになりながらも、今目の前の日常を大事にすること。

これで、より良い毎日が送れそうな気がします。

それでは、今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

今日もHAVE FUNしていきまっしょい!!

 

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