Vol.13 ライフスタイルログ「THIS WEEK」境界線がなくなった時、そこに愛がある。既知を出ることで自由になれる。

※ 当サイトではアフィリエイト広告を利用しています

ゴロウ
どうも!自由が大好きゴロウです。

今週は梅雨らしく雨が多く、あまり活発に動けなかったなーという印象です。

その分、名著にも出会え、内省深まる1週間でした。

今回は本からの気づきがメインになりますが、今週もサクッとやっていきたいと思います。

とはいえ、内容重めです笑

 

過去のバックナンバーはコチラ → THIS WEEK

 

クリシュナムルティの「最初で最後の自由」を読む

今週は南インド出身の思想家、教育者であり、20世紀の偉大な哲学者の一人である、ジッドゥ・クリシュナムルティの本や言葉をたくさん追っていました。

まだ全部読んでないけど、この本読んでました。

 

 

彼は自分の内側だったり、外の世界だったりを「ただ見つめること」が重要だと何度も言っていて。

いわゆる瞑想的な!

最近は自分は愛とか自由がテーマだったので、自分を愛することと人を愛することの狭間を観察してました。

 

で、僕は自分の大事な価値観として好奇心やマイペースなどがあって、この価値観を満たすことに長いこと重点を置いてきました。

これが自分を愛することだと思っていたので。

これはこれで合っているんですが、自分を大事にしすぎると周りと衝突することになるんですよね。

例えば、自分のマイペースを大事にするがあまり、人のペースを大事にできなかったり、ペースを乱されることでイライラしてしまうわけです。

これって、自分を愛することで、人を愛せなくなってしまっているんですよね。

 

この問題を解決するために、今までは周りを許せるように、事前に自分をしっかり満たすということをやっていました。

今回でいうと、事前に自分のマイぺースで生活し、自分の好奇心を満たし切るということです。

そうすることで、自分のペースや好奇心を持てないことに遭遇した時にも余裕を持っていられるということです。

人や周りに譲るという感覚ですね。

 

でも、この譲るというスタンスには限界がありました。

あくまでも自分の大事なことが奪われるという恐れが前提にあるからです。

 

で、今回のクリシュナムルティの「ただ見つめる」ということをやって見えたことがありました。

それは、愛とは与えるという行為ではなく、境界線がなくなった時に現れる状態のことだということでした。

 

愛とは一体となること

自分のペースを乱された僕を例に取ると、「乱される側の自分」と「乱してくる側の相手」がいます。

でも、これは、あくまで自分の「マイぺースという基準」があって初めて、乱される自分と乱してくる相手が存在します。

自分の基準がこの現象を生み出しているわけです。

 

相手からしたら、何のこっちゃ?ですよね。ただ普通に接しているだけかもしれないのに。乱すつもりなんてさらさらないし、何言ってんの?って感じかもしれません。

で、この時、僕はイライラしてしまうわけなんですが、このイライラする感情を抜きにすると、「乱される自分」と「乱してくる相手」だけが存在する。

ただ、この存在だけを見つめる。

 

そこには一旦は良い悪いが存在してしまっているわけですが、基準もなくし、感情もなくすと、ただ2つの存在が影響しあっているという状態があるだけです。

つまり、影響を与えている感じがする「乱す側」と影響を与えられている感じがする「乱される側」。

そこにはエネルギーの流れがあるだけで、2つの存在を一つの存在として見れば、いわば一緒にダンスをしているようなモノ。

合気道的な感じ!

そういう一体なわけです。

Aさん、 Bさんという2人ではなく、AとBを同時に含む一つの存在がなんかウニョウニョ動いている感じです。

 

この時初めて境界というものはなくなり、一つになる。そうやって相手と自分が一つになれた時、愛として存在するということなんだと思います。

押す時もあれば押される時もある。それを一体として、ただいるということ。それが愛なのかなーと思いました。

と同時に、この時に本当の自由というものも感じる気がします。

 

クリシュナムルティが説く「本当の自由」とは?

▲参照 : https://kfoundation.org/l/jp-krishnamurti/

クリシュナムルティが言う、本当の自由とは、「既知からの自由」です。

「既知」とは、私たちの頭の中にある「過去の記憶、知識、経験、文化的な刷り込み、信条、そして『私』という自己イメージ」のすべてを指します。

私たちは常にこの「過去のデータベース」を検索して、未来を予測し、現在の行動を決定しています。

「昨日はこうだったから、こう動こう」「私はこういう人間だから、こうすべきだ」という、思考によるパターン化です。クリシュナムルティは、このパターン化した思考のループこそが、私たちを縛る唯一の檻だと言いました。

 

僕は、ずっと自由になりたくて、世界中を回ったり、色んなことをあれこれ試してきたわけなんですが、移動をし続けても、やりたいことをたくさんやっても自由を感じられない感覚がありました。

そこで、彼が言う本当の自由が何なのか?を知ったことで、自由がちょっとだけ理解できた感覚があります。

 

クリシュナムルティが説く「本当の自由」とは、僕たちが普段考える「やりたいことを選ぶ自由(選択の自由)」とは根本的に異なります。

彼にとって、自由とは「選択すること」ではなく、「条件づけ(過去の蓄積)から完全に解放された、静かな心の状態」を指します。

 

もちろん、僕はまだ現世的な人間なので、お金や時間、健康な体があって自由な場所に自分の好きなタイミングで行けることも自由だとは思ってます。

ただ、それは現実的な自由であって、彼がいう自由とは違った、「選択することの自由」ではない精神的自由も追いかけていたい。

というのも、どれだけ好きな場所に行っても自分という存在が自由でない限り自由は感じられなかったからです。

 

で、どうしたらいいのか?ってところなんですが、彼が言うように、条件づけから離れることが自由だということ。

わかりやすいところで言うと、自分の肩書きや役割です。

自分の仕事上の肩書き、男であること、親ということ、日本人ということ、、、、などなど。

自分とはこういう人間だからこうすべきという思考パターンから離れるということ。

そして、自分という確固たる存在だと思っているものも、生まれてから出会ってきた人や情報、経験に縛られ、条件をいくつも重ねられ作られた存在であると知ること。

なので、自分は実は周りが作ってきた存在とも言えるわけです。

だから、選択の自由だけを求めていても、その条件の中で自由を選んでいる感覚になっているだけで、過去の延長を歩んでいることには変わりはありません。

 

以前、僕は、両親と一緒にヨーロッパ旅行に行ってきたんですが、その時に、自分はかなり親の影響を受けてきたんだなということが腑に落ちました。(条件づけをもらったということね)

参考>>親からもらった「旅」が一回りしたことで起きた変化

 

「旅」や「好奇心」などそういった価値観や好きなことを存分に貰ってきた。だから自分が存在しているということ。

こういう自分が持っている無意識のパターンに気づくことで自由になれると言うことです。

「既知」に縛られていると、「どうすれば一番効率的か?」「どうすれば幸せになれるか?」という『正解』をいつも探してしまいます。

でも、自由とは、その「正解を探すゲーム」そのものから降りることです。

  • 「何の結果が出るか」を気にせず、ただその行為に没頭する。

  • 「自分をどう見せるか」を気にせず、ただ反応する。

これが、「既知(過去の自分)」から自由になるということです。

 

これからも自由を求めて、いつも新しい自分であり続けたいなと思います。

 

今週のラン

今週は雨が続き、あまりやれなかった。

19分3.1km、37分4.75km。2回やれたんで、よしとしておきます。

 

あと、今週は久々にピアノを触りました。

やっぱり音楽っていい!そして、ピアノの音って癒されますね。

他の活動では補えない特別なものを感じる。なので、これからもコツコツやっていきたいと思います。

ということで、今回も重すぎる、謎すぎる内容だったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

 

この旅の記事を読んでくれた方へ

旅する人を応援しています!
気になる方はこちらからどうぞ!

  • ☆旅日記や旅スキルに興味がある方へ
     → 世界の旅行記や賢く旅するスキルなど気になるものからぜひ読んでみてください。

  • ☆「自分のやり方でいいのか」と悩んでいるリーダーの方へ
     → コミュLABO
     (引っ張れない・強く出れない。そんな自分のリーダーシップの活かし方を書いています)

世界30カ国、日本各地を巡っています!
気になる地域はこちらからどうぞ!

・北海道 ・青森  ・秋田
・宮城  ・新潟  ・長野
・東京  ・山梨  ・石川
・静岡  
・岐阜  ・愛知
・三重  
・滋賀  ・奈良
・京都  
・大阪  ・兵庫
・和歌山 ・岡山  ・広島
・高知  ・愛媛  
・香川
・
沖縄

・アメリカ  ・中南米
・ヨーロッパ ・アフリカ大陸
・アジア   ・オセアニア