
今週は人と会う機会がちょこっと多かった1週間でした。
やったこと、あった人、感じたことなど、日記感覚で残していきたいと思います。
このページの目次
ブログを書くきっかけをくれた友人とモーニング
今週は長年の友人とモーニングへ。
2016年、このブログのスタートを後押ししてくれた張本人。
この人なくして、今の自分はない!確実にそう言い切れる。(彼のブログ「たけたこパーティ」)
今では移動販売で成功して、次のステージへ。そんな自分の理想に突き進んでいる人との時間は本当に貴重だし、刺激をもらう。
この話をすると、いつも1記事目を見ることになるんだけど、最初の記事はいつ見ても、ウケる。
3行しか書いてないし、なんと言っても顔色が悪すぎるw
ブログを始めて気づけば、10年が経ちました。時の流れは早いもんです。
生で会って話すことに価値がありすぎる
彼とは話すことが多すぎて、仕事の話、プライベートの話、世界情勢の話などなど話したいこと、聞きたいことが盛りだくさんなので、気づけばお昼ご飯も食べずに5時間ぶっ通しで話してしまう。
その中で、いくつか自分の中で、大きな気づきがあったので、それを書き残しておこうと思います。
まずは、生で会って話す時間に大事な情報がものすごく詰まっているということ。
メールやZOOMなどで簡単に意思疎通をすることもできるけど、会って話すことは情報量の質が違いすぎる。一つの言葉の持つ意味や背景がこと細かく入ってくる。
現場には大事な情報が詰まっているということですね。
文字や言葉で表すことはできない、非言語の情報。しかも動画とも違う、現場にしか流れていない情報。
そんな情報量の濃さを改めて感じました。
現場には簡単に切ることができない空間がある
このことを書きながら思うことは、現場はゲームのように簡単にシャットダウンができないということです。
オンライン上のコミュニケーションは自分に都合よく簡単に切り離すことができる。(ZOOMも画面オフとか簡単にできるしね。)
だから便利だともいうんですが、逃げ場がある情報は体に染みつかない。
ちょっと大袈裟ですが、昔は毎日がサバイバル状態で、いつ自分の身が命の危険にさらされてもおかしくなかったわけですよ。
そんな状態では、情報の感度が高まるのは当然。すべての情報が自分ごとになります。
だからこそ、自分ごと化される時間の過ごし方、今回でいうと、現場で話すことってやっぱり重要だなと感じます。
自己実現欲求より安全欲求の方が大事?
ちょっと話は変わって。
最近の世の中は不安定ながらも、なんだかんだ「自分の生き方」、「自分のやりたい仕事」という自己実現的な悩みが増えてきているように感じます。
僕もそのうちの一人ではあるんですが、最近は先の読めない時代の流れから、その考え方を土台から少し疑う必要があるなとも感じています。
というのも、人間が充実した人生を送るには、マズローがいう生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、(自己超越欲求)を、下から順番に基本的には満たす必要があります。
なので、土台が崩れると、上の層は満たせないし、満たす必要もなくなるということです。
今の世の中ではお金があれば、基本的に下の欲求は満たしやすく、簡単に満たせる世の中です。豊かになってきた現代では、自己実現欲求にフォーカスが当たりやすい。
ですが、この先、インフレや戦争が続いて、食料や物資が簡単に手に入らないことになれば、安全欲求が根底から崩れる可能性も0ではないわけです。
読んでくれている方を不安にさせたいというわけではなく、この下層の欲求と上層の欲求をバランスよく満たしていく必要があるなというのが僕の今の考え方です。
「生きる×遊ぶ」の掛け合わせ
こんなことを考えながら、行き着くのは「生きる×遊ぶ」という組み合わせでした。
生きるという根源的な欲求を満たし、遊ぶことなど、自分が心から楽しいと思う時間を過ごす。
これができたら最高なわけです。
そして、この2つを満たすために、仕事をし、休日は遊ぶ。というのも一つの解です。
人それぞれ色んなアプローチがあると思いますが、僕は「生きる×遊ぶ」という部分をなるべくお金に依存しない形で作ることにワクワクするというのか、可能性を感じます。
なんというか、本当に自分が楽しめることや満足できる時間というのは、お金で買える、買えないというより、創造力が必要だったりする。そして、そんな充実できる時間は意外に身近にあったりする。
だから、シンプルにいうと創造力を持って毎日を過ごす必要があるなと感じています。
そんでもって、お金に依存しない形で、安全欲求も叶える。そうなると一つやれることは、食料を自分で作るということに行き着くわけです。
ただ、ここで大事なのが、自分が不安だから農業をするというように、不安や恐怖というネガティブな感情をきっかけに行動を起こすことはあまり良くないなと感じていることです。
不安や恐怖を理由に動くのは人間の行動を起こすための一つのパターンだとは思うのですが、このネガティブな感情があると、今というその瞬間そのものがネガティブに包まれてしまう可能性がある。
なので、自分がワクワクするその気持ちを持ちながらも生きるという土台を作ることが大切です。
なんかややこしいこと言ってますが、シンプルにいうと、楽しもうってことですw
昨年はさつまいもが300本ほど収穫ができたので、これをちょこっと超える食料を作っていきたいと思います。
「枠の中に自由を作る」ということ
話は変わって、今週は長野の金鶏山泉長寺の住職さんと会う機会がありました。
ここの住職、吉田さんはちょっと普通の住職さんとは違っていて、クリエイターとしても活動する住職に見えない住職。
お寺でDJを呼ぶようなマルシェを開催したり、本人自らTシャツ作成したり、動画クリエイターとしても活動しているマルチな方です。
彼は、夫婦で世界一周したという奇遇にも自分と似た経験があります。
そんな彼と話していて、最近のテーマで共通することがありました。
それは、「枠の中に自由を作る」ということです。
僕は今まで、枠の外へ出ようとしてきました。そして、そこに自由があると信じてきました。
それは、物理的に今いる場所から遠くの場所へ行くこと。世界一周のようなパックパッカー生活がまさにそうです。
もう一つは、自分のコンフォートゾーンを超えて今までの自分にはできなかったことをやろうとすること。
簡単にいうと、成長のようなものです。
これをすることが自由につながるものであり、自分が心のそこから欲しがってたことでした。
ただ、ここ最近はどちらかというと、今いる場所、今の自分、日常の中でも自由を感じる時間ってあるんじゃないか?とも思っています。
結局、遠くに行っても自分という存在が何者であるのか?の方が重要だし、
どれだけ成長に目を向けても、今という現実をきちんと感じられないのなら、心が置き去りになる。
伝えるのが難しいんですが、この今とか日常とか、当たり前の中にも自由を感じられるなと少しずつ感じています。
例えば、毎日こなさないといけない料理をする時間にも自由はあるし、家とか公園で子どもと過ごす時間にも自由はある。
そこが自分の今の興味であって、その興味を満たすには、自分が苦手とする領域まで変化し続ける必要があるなと感じています。
かなり抽象的なので、何の話って感じかもしれませんが、「枠の外の自由」と「枠の中の自由。」どちらも大事にしていきたいなということです。
人生は一瞬で終わるよねという会話
話は変わって、夫婦の話。
最近は、いつも通り夫婦で過ごす時間が長いです。
4月も後半になり、特に気候が気持ちいい日が続いているので、こんな日はもっと遊ばないといけないよねーという会話によくなります。
で、決まって「じゃあ夏は何する?」「海行って、山行って、キャンプして、、、」「やることいっぱいあるねー」「えっ夏ってまじで一瞬で終わるね」「そうなると、冬もあっという間に終わるよね」
「で、気づけば、5年、10年たって、一瞬で人生終わるよね」という話。
こんなことが大体の会話の結論w
なので、もっと遊んでいこうと思います。
(でも、仕事もそれなりにコツコツやっていきますよw)
今週も淡々と3記事を達成!
今週は、正直、3記事書けないんじゃないか?ついに、三日坊主ならぬ、3週間坊主になるかと思いきや、達成できました。
気になる記事があれば、ぜひ見てみてくださいね!
今週は完全に運動不足
最近は歩くのを数字で見ているんですが、今週はなんと、2768歩/1日平均。
完全に少なすぎる。
今から歩いてこようと思います!
ということで、今週もこんな収拾のつかない内容を最後まで読んでいただきありがとうございました!
明日からも、引き続き楽しんでいきまっしょい!!























